木下正道 自作を語る

21日に演奏される≪crypte VIII≫について、作曲者である木下正道氏にお話を伺った。


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石塚潤一、以下、石)≪crypte VIII≫は2011年の12月に、生頼まゆみさんのリサイタルで初演された作品ですね。


木下正道、以下、木)そうです。生頼さんには、2010年にマリンバ独奏のための≪crypte V≫を作曲していて、こちらは、その後何度か再演してもらっているのだけど、ツィンバロン独奏の≪crypte VIII≫の再演は今回が初めて。初演の時は、ちょっとした行き違いから、生頼さんが譜面を一オクターブ低く読んで準備している箇所があって、弦の配置を考えて演奏しやすく書いたつもりだったのに、本番前の立ち会いで、やたら難しいと言われちゃって。


石)ツィンバロンの弦は、ピアノの鍵盤のように並進対称的に並んでないから、オクターブ違って読むと大変なことになる。そうなると、初演の時には譜面通りには演奏されなかった?



木)そう。曲を書くに当たっては、生頼さんと打ち合わせをして、楽器を弾くところをみせてもらい、楽器を叩かせてももらった。この曲は、冒頭のトレモロで推移していく音型がいわばテーマで、これが流れの中で圧縮されつつ反復していく感じですね。この最後のところ、これは冒頭部分の逆行形になっている。寸詰まりになったり、逆行したり、つまり行ったり来たりを繰り返しながら最後へと向かっていく。


石)逆行といえば、近藤譲の≪三重奏曲(荒地)≫や、≪地峡≫では、1から数小節単位で逆行する箇所があるけど、それは反復のようで反復でない「疑似的反復」として使っていると、近藤さんはおっしゃっていた。こうした考え方と似ているように思う。


木)独奏曲の作曲ではあまりやらないことなんだけど、この曲では曲を書きはじめる前に冒頭から末尾までの拍子構造を事前に決めた(注:木下作品は変拍子が多く、テンポは遅いながらも拍子は毎小節ごとに変化する)。つまり、「テーマ」の伸縮をどうするかという設計ありきで曲を書き始めた。


石)ただし、反復といっても単純な移高ではなく、随分要素内の音程関係が変化しているようにみえるけど。


木)ツィンバロンの場合、弦の配置が極めて特殊なので、弦の配置表を常に参照して書いた。この配置を上手く利用するなら、手の動きはそのままに楽器の別の箇所を演奏すると、結果として出てくるフレーズは全く異なったものになる。ピアノで弾くのはちょっと難しいけど、ツィンバロンの弦の配置を踏まえると、結構楽に叩ける音型が随分ある。


石)中間部は、完全5度が随分多いけど、これはツィンバロンの弦の配置によるものなのかな?(ツィンバロンの中核部分は、1本の弦を2:3の比率で分割し、完全5度が叩ける)


木)現代の音楽って、5度や4度といっても、減5度や増4度が多いじゃないですか。


石)細川俊夫さんの作品ではずっと鳴ってますね。松平頼則さんの作品も多いな。


木)具体的な名前はともかく。減5度や増4度って、楽曲の特殊な雰囲気を作ってしまうと思うんだよね。それに、拍子感を考えて、バーンと音が欲しいと思った時に、そういった音程だと強烈すぎるようにも思う。加えて、演奏する時にも増4度って取りにくいでしょ?


石)まあ確かに、協和音程ではないから、「あ、うなりが消えた。合ってる!」といった身体で会得する音程ではなく、ピアノなどを聴きながら、学習した結果として身に着ける音程ではあると思う。


木)それに、増4度というのは、どんな楽器で演奏しても同じような響きがするけど、完全5度は違う。ピアノの完全5度と、弦楽器の完全5度と、木管の完全5度と、少しずつ色合いが違うように思うわけ。


石)それはまず、調律の問題。平均律で調律されたピアノでは、弦や木管と違って純正な完全5度が弾けない。それと、倍音構造の問題。完全5度は周波数比が2:3だから、楽器の倍音構造に奇数次の倍音が含まれているかいないかで、二つの音の干渉の仕方はかわってくるはず。


木)ツィンバロンという楽器は、同じ完全5度でも、音域によって随分響きの感触が違うように思って、そこの違いを上手く曲に取り込めればと思って書いた記憶がある。


石)ツィンバロンには、一本の弦を分割しているがゆえに張った瞬間に完全5度の音程が決まってしまう箇所と、ピアノのように一本一本を独立に調律できる箇所がありますからね。


木)それと、ツィンバロンはペダリングによる独特な残響があって、これが上手く出ればいいと思った。ここで演奏すると、その違いが奇麗に聴こえるんじゃないか。


石)先ほど、拍子はあらかじめ決めていたというけど、音程構造はどうなの?腕の動きを変えずに叩く箇所を変えるというアイディアは分かる。ただ、ツィンバロンはかなり特殊な弦の配置をしているから、結果として、自分が思いもしなかった響きやフレーズを生み出すことにもなると思う。


木)それは、自分の意図通りやったところ半分、偶然性的な成り行きを精査した上で使うのが半分というところ。まず、自分が作曲するとき、没入し過ぎるのは良くないと思っているわけ。松平頼暁さんが、曲を書いていて「乗ってきた」と思ったら、敢えて筆を置く、といっていたけど、どこかで客観性を担保しないと曲はかけない。頼暁さんは徹夜をしないといっていたけど、最近は自分も徹夜をしない。作曲には、細かい神経を繋いでいくような、ある意味医学的ともいえる厳しさがある。その客観性を担保するために、こういうやり方をしているというのが正直なところかと思います。


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演奏家に訊く vol.6 ツィンバロン奏者 生頼まゆみ
2017年5月21日(日) 17:00
御嶽神社集会場(東京都練馬区石神井
入場料:予約一般2000円、予約学生1500円、当日2300円
予約受付:junichi.ishizuka@gmail.com まで、お名前、人数、連絡先を記載の上お申し込みください。
詳細は http://d.hatena.ne.jp/J-Ishizuka/20170419