忌中と喪中

御嶽神社では、冬至日に例大祭「星祭り」を行うため、お正月を迎える準備はそれ以降に本格化します。釜〆(かまじめ)と呼ばれる幣束については、12月のはじめくらいから星祭の準備と並行する形で奉製し、それを24日頃から神社社務所にて順次お頒けしているという次第です(25日午前中には、三原台稲荷神社へ出張もいたします)。というわけで、当たり前といえば当たり前ですが、当家にとってクリスマスなど別世界の話です。

釜〆とは、正月の間はかまどを閉め、幣束を立て神様をお迎えする慣わしがあり、これゆえにこの名前で呼ばれているものです。いつからか、年末から年始にかけて、かまど(台所)に限らず、家中の神棚の幣束やお札を全て新しくすることを含めて、釜〆と総称されるようになりました。

さて、釜〆をお頒けしているこの時期に決まって訊かれることがあります。「今年は喪中なのですが、釜〆はどうしたら良いでしょうか。初詣には行っても良いのでしょうか」ということです。良い機会ですので、この点について簡単にまとめておくことに致します。

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ところで、これをお読みの皆様は、忌中と喪中の違いはお判りになりますでしょうか。この両者を混同されている方がしばしば見受けられ、このことが様々な誤解の源泉となっているようなのです。

忌中とは、神道の「本来、死とは穢(けが)れたもの」との考えに基づいています。これゆえ、忌事があった場合そのような家中を神様にお見せしない、死に穢れた手で神様は扱えない、という風習が生まれ、神棚の正面に白い紙を貼り、出来る限り触らないようになったわけです。この時期は、結婚式などお祝い事への出席も出来る限り控えるのが本当です。また、神社の鳥居をくぐれない、という言い方をされることもありますが、これももちろん鳥居の横から入れば良い、ということではなく、忌中の人は死の穢れを神社境内への持ち込まないように、出入りが禁じられている、ということに他なりません。

対して喪中とは、忌が明けた後、故人を偲んで慎ましく生活する期間をいいます。この時期は、慎ましくという制限がつきますが、基本的には普段同様の生活が送れると考えていただいて構いません。神社への立ち入りも可能です(神社によっては、そのためのお祓いを受けた上で、という所もあります)ので、結婚式に招待されたり近所のお祭で役を務めなくてはならなかったりする場合は、参加することが可能です(ただし、あくまでも慎ましくということですので、付き合いの上でしかたなく、というならまだしも、積極的に忘年会や新年会に出席するのは控えた方が良いでしょう。喪中の方が故人を偲ぶことも忘れ、忘年会で大いに盛り上がったりされるのは、何より悲しむべきことです)。神棚については、忌明けとともに神棚に貼った白い紙をはがし、平素通りお祀りすることが出来ますし、初詣といった神社への参拝も通常通り出来ます(ただし、結婚式のようなお祝い事を自ら行う場合については一考が必要でしょう。ただ、こうした場合は、故人にも祝福の意志があっただろう、と考え、故人を偲ぶことと結婚式というお祝い事を両立させる場合が多いようです)。

ゆえに、最初の質問に対する私の答えは、「忌中ならば神棚をお祀りすることも初詣も出来ませんが、喪中ならば普段と変わらない形でお祀り、参拝していただいて結構です」ということになります。忌中の方の釜〆につきましては、忌が明けた後、節気が変わる立春を待ってお祀りするようにすれば良いかと思います。翌年の年末まで丸一年間、神棚をそのままにしておくというのは神様に対して失礼に当たり、おすすめできません。ただ、大抵の神社では、釜〆は12月の限られた時期しか頒布していないものですので、12月のうちにお友達や親類等にお願いし、とりあえず手に入れておくのが良いかと思います。

ところで、忌中と服喪(喪中)の期間ですが、これは故人との関係によって変わってきます。こうした風習を規定する法令は古来数々ありましたが、江戸時代初期の貞享元年(1684年)に「服忌令(ぶっきりょう)」として、幕府によってまとめられました。国家神道の時代であった明治七年には、太政官布告の服忌令が発令されていますが、これは武家の風習をもとに制定されたもの。というのも、公家の風習では、忌中や服喪の期間が概して武家より長めで、明治という新しい時代にはそぐわなかったからです。

さて、明治7年、太政官布告の服忌令の内容をみてみましょう。

父母死亡時      忌/五十日 服/十三カ月
養父母死亡時     忌/三十日 服/百五十日
夫死亡時       忌/三十日 服/十三カ月
妻死亡時       忌/二十日 服/九十日
嫡子死亡時      忌/二十日 服/九十日
子死亡時       忌/十日  服/三十日
兄弟姉妹死亡時    忌/二十日 服/九十日
異父母兄弟姉妹死亡時 忌/十日  服/三十日
祖父母死亡時     忌/三十日 服/百五十日
曾祖父母死亡時    忌/二十日 服/九十日
孫死亡時       忌/十日  服/三十日
叔(伯)父、叔(伯)母  忌/二十日 服/九十日
従兄弟死亡時     忌/三日  服/七日
甥、姪死亡時     忌/三日  服/七日

とあります。細々とした注釈が幾つかありましたが、これらは省略しました。さて、明治7年のものですから、男女で忌中期間が対称でなかったり、嫡子が特別扱いされていたり、と、現代的な視点からみるとかなり違和感が生じている箇所が幾つかあります。それゆえ、現在のマナーブック等では、これを根拠としながらも多少手を加えて紹介されることが多いようです。

全国の神社を統轄する神社本庁では、歴史的な習慣の尊重と現代の生活の実際をすり合わせた結果、同居している方が亡くなった場合には忌中期間は50日、同居されていない場合には喪中には入るが忌中には入らない、という見解を出しています。

服喪については、こちらは神事のこととは直接関わらないため、私としては上記の資料を呈示した上で皆様のお心次第で、と申し上げるに留めています。服忌令に書かれた期間は、喪中のハガキを出すか出さないかを考える上でも参考になるでしょう。ただ、喪中のハガキを出すということは、故人を偲び慎ましく生活しています、と周囲に報告することである、との認識は忘れないで頂きたいものです。欠礼した年賀状にしても、後日寒中見舞いのなどで送るのが正しい作法とのことです(そういう私はというと、仕事柄年末年始は極めて忙しく、年賀状自体を出せずに終わってしまうことが多いので、反省しなくてはならないところです・・・)。