さらにケージのディスクから

The Piano Concertos

The Piano Concertos


2005年5月に「タモリ倶楽部」でも取り上げられたジョン・ケージ作曲:《ピアノとオーケストラのためのコンサート》(1957-58)のある意味歴史的な演奏が収録されている。
このCDの魅力について語るためには、稀代のピアニスト/作曲家であったデヴィッド・チュードアについて語るところより始めなくてはなるまい。
チュードアは、そのピアノ演奏によってアメリ実験音楽界に最大の貢献を成した人物である。1926年フィラデルフィアに生まれ、当初はオルガン奏者として演奏活動を始めたが、後にピアニストへと転向。《4分33秒》をはじめとする数々の作品を初演し、ケージの演奏面での最大の協力者となると同時に、ブーレーズのあの至難な《ピアノソナタ第2番》のアメリカ初演、あるいはシュトックハウゼンとのコラボレーション(《ピアノ曲》、《コンタクテ》)によって、ヨーロッパ前衛音楽とアメリ実験音楽との繋留点としても重要な役割を担った。
そのピアニズムの特色は、ダイナミクスとニュアンスの自由自在な変化:つまりチュードアは、フォルティシモでの強烈な打鍵とピアニシモでの柔軟な打鍵、この2つを極めて高精度にコントロールつつ、ごく短い時間のうちに交代させることが出来た。これは、一見簡単なようだが極めて難しいことで、今日の現代音楽演奏家にも、チュードアの如きフレキシビリティを持つピアニストは希少である。
そうしたチュードアのピアニズムがケージの作品へともたらした影響も、もちろん決して無視できないものである。《コンサート》には、ダイナミクスの変化と音の軟硬を非伝統的な記譜にて仔細に指定した箇所があるが、このような音楽の発想は、チュードアのような特異な才能がなければ有り得なかったに違いない。
さて、ここに収録されているのは、1992年、ドイツはフランクフルトでの、チュードアとメッツマッハー指揮のアンサンブル・モデルンとの共演の記録。フランク・ザッパとのコラボレーションでも知られる現代音楽アンサンブルと、ノイズ・ミュージックの父祖でもある作曲家:チュードアとの、おそらく一期一会の演奏である。ここでもチュードアは、まさに自在という他ない演奏を披露し、60代半ばに入ってもそのピアニズムが健在であることを示した。この後、チュードアは脳溢血の後遺症で失明して演奏活動から退き、1996年に逝った。
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その他に、《プリペアド・ピアノとオーケストラのための協奏曲》(1951)、《Fourteen》(1990)が収録されている。《プリペアド・ピアノ協奏曲》は《ソナタとインターリュード》にも通じる鄙びた叙情が横溢した作品。ケージ初心者にも推薦。プリペアド・ピアノを弾くのは、ステファン・ドゥルリー。ボストンにあって、視野の広い音楽活動を継続し、ジョン・ゾーンの作品の演奏でも知られるピアニストである。

マサチューセッツの蝶は東京に嵐を起こすか?

1960年のこと。マサチューセッツ工科大学(MIT)の気象学者、エドワード・ローレンツは大気の状態をシミュレーションすべく、3変数の連立微分方程式へとこれをモデル化、コンピューターでの計算を続けていた。
使用されていたのは、毎秒60演算という初期のファミコンにすら遥かに及ばないコンピューターだったが、それでも人間が手で計算するのと比べれば格段に速い。結果を追試するために同じ計算を繰り返す中で、ローレンツはデータ入力の際に小数点以下のある桁より先の数字を端折り、たとえば、5.2435843と入力すべきところを、5.243と入力してみることにしたのだった。省略した小数点以下の端数なんて入力すべきデータと比較すればゴミのようなものなのだから、計算の結果に大きな影響を与えることはなく、上手い具合に入力の手間を省くことが出来るだろう。それがローレンツの予想だった。
しかしながら結果は予想を全く裏切ることになる。確かに、シミュレーションの初期の段階では両者には殆ど違いが無い。だが、計算が進むごとに、つまりコンピューター内の大気の状態が時間発展をしていくごとに、事情は少しずつ変わってくる。端数を省略しない計算ではなかった振る舞いが出始め、ついには全く別の様相へと至ることをローレンツは驚愕の面持ちで見守るしかなかった。
たった3変数の決定論的な微分方程式にあっても、初期値のわずかな違いが大きく結果を変えてしまう。この半ば偶然の発見により、カオスという新しい物理学の領域が拓かれた瞬間である。またこの結果は、気象の長期予報がいかに困難であるかを示してもいる。大気の状態についてのどれだけ精密な数理モデルを構築したとしても、わずかな観測結果の違い/その入力の誤差が、全く違った結果=天気を導き出してしまうということなのだから。
ローレンツはこの現象の背後にある数理的な構造を考察し1963年に発表するとともに、「かもめの一回の羽ばたきが未来永劫に気象を変える可能性がある」とこの微細な初期値依存性を表現した。この言い回しはさらに、
「中国での蝶の羽ばたきがアメリカの気候を変える」
という、より詩的なものへと置き換えられ、これゆえにこの現象は「バタフライ効果」と呼ばれることになった。
現在、バタフライ効果は気象学者や物理学者だけでない、幅広い人達に知られている。2004年には映画「バタフライ・エフェクト」が公開、音楽の世界でも、昨年癌で亡くなった作曲家:江村哲二が「ローレンツの蝶々」(1998)という管弦楽曲を作曲している。
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バタフライ効果の発見者、エドワード・ローレンツ(1917.5.16-2008.4.16)、癌のために死去。この報を嵐の朝、東京で知る。