マサチューセッツの蝶は東京に嵐を起こすか?

1960年のこと。マサチューセッツ工科大学(MIT)の気象学者、エドワード・ローレンツは大気の状態をシミュレーションすべく、3変数の連立微分方程式へとこれをモデル化、コンピューターでの計算を続けていた。
使用されていたのは、毎秒60演算という初期のファミコンにすら遥かに及ばないコンピューターだったが、それでも人間が手で計算するのと比べれば格段に速い。結果を追試するために同じ計算を繰り返す中で、ローレンツはデータ入力の際に小数点以下のある桁より先の数字を端折り、たとえば、5.2435843と入力すべきところを、5.243と入力してみることにしたのだった。省略した小数点以下の端数なんて入力すべきデータと比較すればゴミのようなものなのだから、計算の結果に大きな影響を与えることはなく、上手い具合に入力の手間を省くことが出来るだろう。それがローレンツの予想だった。
しかしながら結果は予想を全く裏切ることになる。確かに、シミュレーションの初期の段階では両者には殆ど違いが無い。だが、計算が進むごとに、つまりコンピューター内の大気の状態が時間発展をしていくごとに、事情は少しずつ変わってくる。端数を省略しない計算ではなかった振る舞いが出始め、ついには全く別の様相へと至ることをローレンツは驚愕の面持ちで見守るしかなかった。
たった3変数の決定論的な微分方程式にあっても、初期値のわずかな違いが大きく結果を変えてしまう。この半ば偶然の発見により、カオスという新しい物理学の領域が拓かれた瞬間である。またこの結果は、気象の長期予報がいかに困難であるかを示してもいる。大気の状態についてのどれだけ精密な数理モデルを構築したとしても、わずかな観測結果の違い/その入力の誤差が、全く違った結果=天気を導き出してしまうということなのだから。
ローレンツはこの現象の背後にある数理的な構造を考察し1963年に発表するとともに、「かもめの一回の羽ばたきが未来永劫に気象を変える可能性がある」とこの微細な初期値依存性を表現した。この言い回しはさらに、
「中国での蝶の羽ばたきがアメリカの気候を変える」
という、より詩的なものへと置き換えられ、これゆえにこの現象は「バタフライ効果」と呼ばれることになった。
現在、バタフライ効果は気象学者や物理学者だけでない、幅広い人達に知られている。2004年には映画「バタフライ・エフェクト」が公開、音楽の世界でも、昨年癌で亡くなった作曲家:江村哲二が「ローレンツの蝶々」(1998)という管弦楽曲を作曲している。
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バタフライ効果の発見者、エドワード・ローレンツ(1917.5.16-2008.4.16)、癌のために死去。この報を嵐の朝、東京で知る。