20世紀オペラの臨界:B.A.ツィンマーマン「軍人たち」

B.A.Zimmermann 『軍人たち Die Soldaten』
新国立劇場 オペラハウス 7日 19:00

【指揮】若杉弘
【演出】ヴィリー・デッカー
【美術・衣裳】ヴォルフガング・グスマン
【照明】フリーデヴァルト・デーゲン
キャスト:
【ヴェーゼナー】鹿野由之
【マリー】ヴィクトリア・ルキアネッツ
シャルロッテ】山下牧子
【ヴェーゼナーの老母】寺谷千枝子
【シュトルツィウス】クラウディオ・オテッリ
【シュトルツィウスの母】村松桂子
【フォン・シュパンハイム伯爵 大佐】斉木健詞
【デポルト】ピーター・ホーレ
【ピルツェル 大尉】小山陽二郎
【アイゼンハルト 従軍牧師】泉良平
【オーディ 大尉】小林由樹
【マリ 大尉】黒田博
【ド・ラ・ロッシュ伯爵夫人】森山京
【若い伯爵・伯爵夫人の息子】高橋淳
【合唱】新国立劇場合唱団
管弦楽東京フィルハーモニー交響楽団

この5月は、スティーヴ・ライヒの来日公演や、アンサンブル・モデルンによるシュトックハウゼン追悼公演など、現代音楽の見逃せない公演が続くが、B.A.ツィンマーマン作曲のオペラ≪軍人たち Die Soldaten≫の日本初演は、その中でも目玉と位置づけられよう。というわけで、7日の夕方、新国立劇場まで足を運んでみたという次第。
20世紀後半を代表するオペラと位置づけられつつも、≪軍人たち≫が演奏される機会は決して多くはない。何よりそれは、この作品が極めて演奏困難な代物であることに起因している。
1918年生まれ(と、いうことはレナード・バーンスタインと同い年ということになる)のツィンマーマンは、新古典的な作風より出発したものの、1950年代より、戦後前衛世代―中でも10歳年少のカールハインツ・シュトックハウゼンを猛烈に意識。新しい語法の確立と自己の持つ伝統的音楽的教養との調停に苦しみ抜いた末、複数の音楽要素/様式が同時に進行する「多元主義」的作風に光明を見出すが、1970年にピストル自殺を図り死去した。
1957年から1964年は、ツィンマーマンが音列技法へと深く傾斜した時期で、それゆえ≪軍人たち≫には、ブーレーズの≪ル・マルトー・サン・メートル≫を連想させる(というか、ギターや金属鍵盤打楽器が主となる箇所の音響に影響が丸出し)、極めて複雑な譜割りと広い音程的跳躍が頻出する。その上、声楽も器楽も限界スレスレの音域を酷使されるため、これによる負担も引き受けなくてはならない。米粒に文字を刻むがごとき繊細さと、ヘビー級ボクサーのスタミナ。≪軍人たち≫を演奏する者には、この両極端な資質を併せ持つことが必要とされる。
それでも、これを演奏するのが5〜10人の室内アンサンブルだというのなら、まだわからないでもない、が、20人近い歌手と、100名を超える巨大なオーケストラが演奏するとなると話は別だ。人数が増えるに従ってその困難は指数関数的に増大するだろう。加えて、オペラであるゆえ、歌手は1小節毎に拍子が変わる複雑な譜面を暗譜して歌い、演技することまでを要請される。その極限的な困難がため、この作品は20世紀オペラの臨界と呼ぶに相応しい。
1965年の初演時には、合計370回にも及ぶ練習が組まれ、オーケストラの練習が25回、通し稽古も10回(そのうちオーケストラを交えてのものが7回)行われたという。指揮をしたのは、当時30代だったミヒャエル・ギーレン。後に南西ドイツ放送響のシェフとなり、現代音楽演奏のスペシャリストとして揺るぎない評価を確立する人物である。そのオペラがとうとう日本で演奏されるという。今回のプロダクションの成り行き次第では、この困難なオペラを日本で演奏しようなどという物好きは、もう2度と現われることがないかも知れない。
で、実際に聴き、この困難な作品をよくここまで仕上げた、と単純に驚嘆した。今後の再演にも期待が持てるだけの結果が確実に出ている。細部には不満がないでもないが、それは主に、100名超の巨大オーケストラ(しかもティンパニが3組)がオーケストラ・ピットに入りきらず、打楽器など一部の楽器を会場内の練習室に集め、音声の中継にて演奏に参加させたことによるものだ。例えば、このオペラの第2幕と第4幕では、オーケストラとともに二階席左先端に位置するジャズ・コンボが演奏するのだが、これが中継の打楽器と全くかみ合わない。これが上手く行けば、さぞや衝撃的な効果をもたらすだろうに。だが、2階席のジャズ・コンボと練習室内の打楽器とを、ピット中央の一人の指揮者の棒で同期させるというのは、そもそも無理難題ではないのか。
若杉の指揮はサクサクと進み過ぎていたようにも思える、が、そんな不満はこの困難な作品を纏め上げたことへの賞賛に比べたら微々たるもの。歌手陣も、外国勢を中心に、このほとんど演奏不可能な作品をよく演奏している。演出も思い切った抽象化が功を奏しており見事。ただ、第4幕第1場、公爵夫人に保護されていたはずの主人公マリーが、街娼/物乞いまでに転落するに至った顛末を描写する箇所。ここのみは人によって評価がわかれるだろうと拝察する。
この場で作曲者は、3面のスクリーンへと投射される映像と、分割された舞台で演じられる芝居とで、マリーの転落を重層的に描写することを意図しており、スコアにもその点に関する詳細な指示がある。だが、今回の演出ではそうした指示をキレイさっぱりと忘れ、舞台装置のある仕掛けを使うことで、極めて抽象的な形での表現を行っていた。洗練/シンプル化に向かった舞台全体の構成からすればそういった方法を取らざるを得ないし、私としては、こうしたやり方があったかと驚いたこともあり、肯定的な評価を惜しむつもりはないのだが。
それにしても、この4幕1場の音楽の素晴らしいこと。作品冒頭のプレリューディオが、登場人物の殆ど全員の声、あるいは、1幕から3幕までの音楽断片を伴って回帰する。一オクターブの12の音が全て鳴る灰色の響きの中で、前後の脈絡なく交わる種々の要素。これはツィンマーマンがついに到達した、新しく、そして彼にしか書けない音楽であったように思う(これが、同じく灰色の響きの中で、スターリンやゲッベルズの演説から、ベートーヴェンの第九、果てはビートルズの「ヘイ・ジュード」までが引用される「ある若き詩人のためのレクイエム」(1967-69)へと繋がるわけだが、こうした傑出した音響を折衷と片付けられてしまった日には自殺したくもなるだろう)。
まあ、そうした点を含めて、この件に関してはきちんとした評を書かなければならないと考えている。本日の日記は、あくまでも未見の方々に対するお勧めを兼ねた、雑駁なメモみたいなもの、ということで。。。。