ピアニストが背負い込まされる(余計な)重圧についての話

 突然、窓から差し込んできた怪光線によって人体が発火、そのまま焼死するも遺体は完全に灰になってしまったので原因を究明することも出来なかった、といったオカルト話を、昔、子供向けの読み物でよく読んだ。ガキのポンカン頭からしてみると、これはこれでしばらく縁側に近づけなくなるような深刻な恐怖を惹起したわけだが、こうしたオカルト話が東西冷戦という世界情勢の反映であったということに気づいたのは、随分成長してからのことだった。
 1957年10月4日、ソビエト連邦は人類史上初の人工衛星スプートニク1号の打ち上げに成功。この報を受け、アメリカ社会は文字通りのパニックに陥った。おりしも、軍拡やら水爆の開発やらを競うように行い、東西冷戦が苛烈化していく流れの中でのこと。アメリカの大衆は、はるか衛星軌道を巡るスプートニクから水爆やら想像を超えた「何か」で狙われているという恐怖に真顔で怯えることになる。よって、上記のようなオカルト話は、そうした恐怖の結晶ともいえるわけだ。
 だが、実のところ、重量83.6キログラムのスプートニクには、4本のアンテナから試験電波を送信することくらいしか出来なかったわけだし、それは当時アメリカでロケット技術に携わっていた人間なら承知のことだった。ただ、アメリカの威信が大きくぐらついたのは紛れもない事実。スプートニクの打ち上げから2ヶ月後の12月6日、アメリカは重量わずか1.36キログラムの試験用衛星を打ち上げることで失地の回復を目指したが、ロケットは発射台にてこれ以上ないくらい派手に爆発して果てた。

 翌年1月31日、アメリカはどうにか14キログラムほど重量をもつエクスプローラー1号を衛星軌道に載せることに成功した、が、全国民が注視する中発射台で爆発したロケットの残像を消し去ることは到底できない。一国の科学技術の結集であるロケット技術が敵対国に対して大きく遅れをとっている。この国家的ストレスはいかばかりのものだろう?事実、1958年から59年にかけて、マーキュリー計画が開始され、NASAが設立され、アメリカ政府の科学技術関連予算は実に4倍強へと増額されたのだ。そうした中で迎えた1958年の4月、ソビエト政府がその威信をかけて開催した第一回チャイコフスキー国際コンクールのピアノ部門で、見事に優勝したアメリカ人が存在した。そのピアニストこそが、ヴァン・クライバーンである。
 この快挙に鬱屈したアメリカ人たちがいかに熱狂したかは想像に難くない。クライバーンは一夜にしてレナード・バーンスタインはおろか、エルヴィス・プレスリーにも比肩する人気者となった。「ロシアを征服したテキサス人」という惹句とともに、クライバーンは「TIME」誌の表紙を飾り、ニューヨーク五番街を凱旋将軍のようにパレードした。と同時に、このことは、テキサスの片田舎で地道にピアノをさらっていた青年に、国家の英雄としての重責が載せられることをも意味していた。

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 という話を、なぜに思い出したのかといえば、先日、すみだトリフォニーホールで行われたPETETOKのコンサートにて、ピアニストの井上郷子さんに最近クライバーンの名を冠したコンクールで優勝した上野学園の生徒さんについて、まあいろいろ伺ったからだった。ちなみに、井上さんは件の生徒さんにソルフェージュを教えてらっしゃる。
 学園の事務局がいかに喜んでいるのか、というような話をしているうちに、井上さんが他ならぬクライバーンに会ったときの話が転がり出た。それは、クラバーンが父親の死去のあとの長い隠遁生活から復帰した頃の話で、ある雑誌の企画でインタビューをすることになったのだとか。そこで彼が話した隠遁に至るまでの経緯は、重すぎるプレッシャーゆえに一個の人格が壊れていく様がありありと感じられ、活字にすることを躊躇われるほどの気の毒なものだったという。この経緯の一部については、中村紘子の著書にも載っている。
 クライバーンというピアニストの辿った悲劇を考えるとき、今の日本のマスコミなどの浮かれぶりにも、若干の既視感が見え隠れしなくもない。というのも、クライバーン・コンクールとは、入賞者に過剰な数のコンサートをマネージメントして迫る、演奏者潰しとの異名すら持つコンクール(近年は多少マシになったようだが)である。そのことを考えるなら、まっとうな音楽人ならば浮かれるよりも危機感を持って前途ある若者の今後を心配するのが本当だろう。いや、優勝したのがクライバーンコンクールだったということが、彼のその後の成り行きを象徴していた、なんてことにならないことを祈るばかりの今日この頃である。

帰国後にカーネギーホールで収録され、100万枚以上を売り上げたチャイコフスキーのピアノ協奏曲のアルバム。未だに、ビルボードのポップアルバムチャートで1位を獲得した唯一のクラシックのアルバムなんだとか。

クライバーンのエピソードを紹介した中村紘子の著書。