大里俊晴(1958.2.5 - 2009.11.17)追悼

11月17日、午前1時14分。肝臓癌に伴う静脈瘤からの出血および肝不全、腎不全で逝去。

あれは上野の文化会館に高橋アキの弾くシューベルトを聴きに行ったときだと思う。かねてより大里氏がいてしかるべきコンサートで姿が見えないことを不審に思っていた私だったのだが、友人の彼女が大里ゼミにいる関係から転がり出た話で、随分前から、肝臓癌でシリアスな病状にある、という事実を知ることとなった。

批評を仕事にしつつも、他人の批評を熱心に読むことのない私が、かつての「ユリイカ」などに載った批評を繰り返し読み、例外的にリスペクトする批評家が大里俊晴氏であった。が、個人的な付き合いはそう多くはなく、親しく話をしたのは、リュック・フェラーリ初来日の際に隣の席で飲んだ時くらいかも知れない。

それは確か、2002年1月25日、フランスの作曲家:リュック・フェラーリ初来日の際に行われた二日間のコンサートの打ち上げのことで、音楽批評に本格的に関わる前だった当時の私も、なぜか混ざって会場となった駒込の寿司屋にいたのだった。

会自体が非常に楽しいもので、「コルトーにピアノを習った人物が、作曲家としてわれわれの前いる。なんて素晴らしいことなんだろう」なんてことを、大里氏らと語りながら盛り上がり、あまりに会が和んだことに気を良くしたのか、招聘元のボスである作曲家の小内将人氏は、その場でフェラーリに新曲を委嘱すらしてしまった。委嘱料の心配などして頭を抱える鈴木治行氏を尻目に、大里氏も私も、とにかく笑顔だった。

このときに委嘱された作品が「パリ、東京、パリ」で、この作品は2003年のフェラーリの再度の、そして最後の来日時に初演され、そして今年また、アンサンブル・ボワとアンサンブル・ノマド、2団体によって再演された。

というわけで、「パリ、東京、パリ」を聴いて筆者がまず思い出すのは、大里氏を含むあの打ち上げのことで、おそらく、それは今後も変わることがないと思う。

というところまで書いて、大里氏の誕生日がフェラーリと同じであったことに初めて気付いた。

心よりご冥福をお祈りする。

大里氏の葬儀は、19日、20日に行われ、「学生を含め、多くの方に参列していただきたいので、香典は不要、平服でお越しください」とのアナウンスがなされている。

http://www.edhs.ynu.ac.jp/mt/news/2009/oosato.html