タモリ倶楽部でのケージ

テレビ朝日の深夜番組:「タモリ倶楽部」にて、ジョン・ケージの作品が取り上げられるというので視聴する。
これは、「解読不可能!?究極の難解楽譜演奏に挑戦」という企画で、130Rほんこん清水ミチコシャ乱Qのまことが、タモリとともにケージの図形楽譜=「ピアノとオーケストラのためのコンサート」(1957-58)に挑むというもの。
バラエティでケージを取り上げたのは、快挙といえば快挙。そのことに文句があるわけじゃない。と、いうより私はむしろ嬉しかったりもするのだ。ほんこんタモリが、ケージがアメリカ人であるということを知らなくても、「18の春を迎えた素晴らしい未亡人」(1942)が演奏される最中、ほんこん清水ミチコの笑いが止まらなくても、それはしょうがないと思う。
しかしながら、案内役として登場した青島広志氏には心底呆れた。開始早々に、「4分33秒」には「4分33秒第2番」という続編があって、この曲ではトロンボーン奏者が4分33秒間静止する、などといった、どこから仕入れたのかわからないような怪しい知識を披露する。
おそらく、青島にとってケージとは、主要曲についての正しい知識すら知らなくても良い程度の、本当にどうでも良い作曲家なのだろう。
さて、課題として示される図形楽譜には、ケージ自身による指示が翻訳され添えられているが、これは極めて明晰に書かれているものの、専門用語を含んでいるためクラシック演奏家ではないタモリらにはわかり辛い。青島氏の仕事はこのケージの指示をやさしく解説し、ピアノを使ってお手本を示すことなのだが、解説についてはまだマシな仕事をしていると言えようが、演奏の方は致命的にダメ。
彼はピアノが上手くない。冒頭のサークル状に並んだ音を次々に弾いて行く譜面の演奏からして、音を外しまくりの酷いものだったし(そもそも、あんなテンポで弾く必要は全くない)、内部奏法を含んだ譜面や、曲線で大まかな音の推移を記した譜面の演奏なども、前もって準備されたものとはとても考えられないものだった。あの譜面には、もっと精緻な演奏を可能にする情報が含まれているはず。図形楽譜だからと言って譜読みがいい加減で良いわけがないのだ。また、さらに根本的な問題として、彼はこの曲を(CDでも実演でも良いのだが)一度でも耳にしたことがあるのだろうか。
おまえ、「4分33秒」の出版元が売っている「4分33秒Tシャツ」をやるから、その席あけて一柳慧に代われ、とでも言いたい気分である。
ちなみに、オノ・ヨーコの元夫でもある一柳は、2002年8月28日、高関健指揮の東京都交響楽団とともにこの「ピアノとオーケストラのためのコンサート」を演奏している。「4分33秒第2番」の副題を持つ「0分00秒」は、この一柳とオノ・ヨーコに捧げられた作品。だがこれは、ステージ上にて演奏者が行う日常的な行為を、ピックアップマイクで大音量に増幅して聴かす作品であって、「4分33秒」のトロンボーン版ではない。そもそも「4分33秒」には楽器指定がないのだ。
図形楽譜の使用や「4分33秒」のような作品から想像される作曲家像とは相反して、ケージは自作の演奏については極めて苛烈な要求を演奏家へと突きつける人物であったことを強調しておきたい。プラグマティズムの申し子の如き作曲家でもあり、そうした意味でも真にアメリカ的な作曲家だったといえるだろう。あの番組での青島氏の取り組みから、そうしたケージ像が少しでもうかがえただろうか?
作曲家の音楽性をカケラほども伝えない演奏は、たとえバラエティでタレントのお手本となるにしても失格なのだ。笑っても良い。だが、思い出してもらいたい。「トリビアの泉」で、演奏中に指揮者が昏倒する演出があるカーゲルの「フィナーレ」を紹介したときには、この曲の演奏経験を持つ飯森範親を指揮台に立たせたではないか。少なくとも「本物」を見せた上で笑いを取ろうとする気概があったではないか。95人が笑ったとしても、残りの5人が初めて触れる音楽の魅力に開眼するような番組は出来ないものなのか。そんなものであっても、音楽に対する立派な貢献となると思うのだが。
さて、あの番組での演奏を徹底的に批判した手前、この曲の名演奏を挙げておかなくてはなるまい。私が勧めるのはアメリカのmodeレーベルから出ているCD。そのピアノ演奏によってアメリ実験音楽における最大の功労者となり、自身も素晴らしい作曲家であったデヴィッド・チュードア(何より、この曲の初演者なのだ、この男は)と、メッツマッハー指揮のアンサンブル・モデルンが組んだ貴重な演奏が収録されている。1992年の収録。この後、チュードアは脳溢血の後遺症で失明して演奏活動が続けられなくなり、1996年に逝った。