ジョルジュ・アペルギスとドナシエンヌ・ミシェル=ダンサック

東京日仏学院エスパス・イマージュ
アペルギス Georges Aperghis(1945-)はギリシャ出身で、現在はフランスで活躍する作曲家。昨年に続いての来日である。東京日仏学院エスパス・イマージュで、氏の代表作ともいえる女声のための《レシタシオン》が演奏されるというので聴きに行く。
1977年から78年にかけて作曲され、1982年に初演された《レシタシオン》は、およそ声を使って可能なことは全て試されているといった難曲である。ルチアーノ・ベリオが《セクエンツァIII》で示した方向性を、さらに徹底的に探求しつくしたものいえば想像がつくだろうか。全14曲から成り、演奏時間は30分以上にも及ぶ。その現代音楽の範疇に収まらない衝撃は、足立智美ロイヤル合唱団のようなユニットも、この作品から大きな影響を受けていることからも察せられよう。
この作品では、初演者(時には共同作曲者とも言われる。ベリオ作品におけるキャシー・バーベリアンのようだ)マルティーヌ・ヴィアによる演奏がCDになっており、そこでは、舞台女優でもあるヴィアらしく、声の表情の振幅が極めて激しい、演劇的な身振りすら目に浮かぶかのようなパフォーマンスが繰り広げられていた。


ヨルゴス・アペルギス(1945- ギリシャ-仏);「20世紀の音楽シリーズ」 (Georges Aperghis: Recitations)

ヨルゴス・アペルギス(1945- ギリシャ-仏);「20世紀の音楽シリーズ」 (Georges Aperghis: Recitations)



今回、この作品を演奏するのは、ドナシエンヌ・ミシェル=ダンサック。コンセルトヴァトワールの出身で、ベリオの《迷宮II》をブーレーズの指揮で演奏したことで注目を浴びたソプラノ歌手である。アペルギスの《セクステュオール》や《マシナシオン》のレコーディングにも参加する等、作曲者からの信頼も篤い。
今回のミシェル=ダンサックによる演奏は、表現の振幅という点ではヴィアに比べて後退していると言えようが、譜面への忠実度は格段に高い。この作品では、歌唱パートはもとより、叫び声、笑い声、息の音・・・といった、いわゆる楽音ではないノイズ的な音響に至るまで、全て厳格に記譜されているのだが、これが譜面が透けてみえるかのような正確なリズムで演奏される。そのリズムも、1拍毎に6連符、7連符、5連符、と交代していくような複雑なものなので、常に一定のテンポをキープして聴き手に確たるテンポ感すら感じさせてしまう、というのは大変な難業なのだ。
こうした「音楽的」な演奏が行われることによって、アペルギスが譜面を介して仕掛けた様々なイベントが極めて効果的に表現されることになる。特に感銘を受けたのは、一定のテンポで推移する音楽の中で、唐突に放り込まれる短い休符の効果。澱みなく流れていた時間がそこで静止するかのような感覚すらもたらすのは、奏者がブレスを含めて正確にリズムをキープする努力を不断に行っているからに違いない。
演奏後には、アペルギスとミシェル=ダンサックによる質疑応答があり、《レシタシオン》のアペルギスの作品系列における位置づけ等が話された。が、むしろ、ミシェル=ダンサックに演奏におけるテクニカルな事柄について質問した方が、音楽の流れにかける彼女の意気込みが感じられて面白かったかも知れない。「譜面にはブレスの位置を決めて記号を書き込んだりはしません。記号を意識することで音楽の流れが滞ったりしますから。記号を書き込むとしたら演奏順に関するもの(この《レシタシオン》では、いくつかの部分に分かれた譜面を、演奏者が決めた順序で演奏できる箇所がある)だけです」と彼女が語っていたのは示唆的だ。
さて、15日(水)にも、アペルギスの作品を集めた演奏会(津田ホール:19時開演)があるので行ってこようかと思う。90年代後半の、正直《レシタシオン》ほどの魅力が感じられない作品が多いように思うのだが、良い演奏に当たることで印象が刷新されるかも知れない。
(付記)
2007年になり、ミシェル=ダンサックによる≪レシタシオン≫のディスクも発売された。
14 Recitations

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