国立音楽大学でDSD録音について考える

国立音楽大学の図書館から借りていた3冊の本、返却期限を過ぎていたことに気付き、車で玉川上水まで出かける。
返却カウンターへ行き本の返却を済ませ、松平頼則のセレナード(フルートと室内アンサンブルのための、1962)のスコアでも閲覧しようと検索に向かったら、私を呼ぶ係員の声。
「これ、当館の書籍ではないですね」
カウンターの上に置かれた書籍に目を落としてみれば、何と、3冊のうちの1冊が、Universal EditionのBerioのカタログにすりかわっている。版型と表紙の色が同じだったので、間違えて持ってきてしまったという次第。
というわけで、書籍の返却手続きが終了せず、私は40分近くかけてやってきたにも関わらず、図書館の閉架書庫にある資料を一つ足りとも閲覧出来ないということに相成った。
無駄足を踏んだ自分のあまりのオオボケぶりにしばし呆然としていたが、それでどうなるわけでもないので、気を取り直してカウンターを通さずとも可能な新着雑誌のチェックをすることに。
洋雑誌を含め幾つかチェックした中で特に目を惹いたのは、管楽器専門誌「パイパーズ」に載っていた、音楽(愛好)家向けの生録音方法の概説。対象とマイクの間の距離から、マイクの角度・位置、レベルの調整に関してまで、正に至れり尽くせり。CD以上の音質でのリニアPCM録音を可能にするハードディスク・レコーダーが、2〜3万円ほどの値段で売られている昨今、録音についてはズブの素人である人たちにむけて、このような解説を行うことは重要だろう。
この特集が興味深いものであるのは確かなのだが、むしろ私を驚かせたのは、この特集に添えられていた各種レコーダーの紹介。中でもこれこれ
1bit、2.8224MHzでのDSD録音(つまりSACDの規格と同じ)の可能なハードディスク・レコーダーが、わずか6万円ほどで売られているとは!ほんの1年前まで、DSDレコーディングに必要なレコーダーといえば、100万円を下ることはなかったのに。
ポータブルCDプレイヤーでフィラメントの音源を聴いて、「サイン波がまるで矩形波のように聴こえる。若い人たちがこの音で聴いていると思うと暗澹たる気持ちだ」と大友良英氏がこぼしていたのが2002年だったか。ポータブルCDプレイヤーの品質というより、16bit、サンプリング周波数44100HzというCD規格(注)の技術的限界ゆえに、超高域でのサイン波が干渉するフィラメントの音楽を捉えきれていないことは明らかだったが、その難点を解消するかも知れないDSDでの録音が、フィラメントのようなユニットの録音で使用されることは、(主に経費の問題から)有り得ないことのように思われた。
さらに、リュック・フェラーリ氏が「CDの規格(16bit、44100Hz)には大いに不満があり、今はDVD-Videoの音声トラックの規格(最高で24bit、96000Hz)に希望を見出している」と語っていたのが2003年。DSDという技術はまだまだ創作の現場まで浸透しておらず、フェラーリSACDという規格のことすら知らなかった。それからわずか3年でここまで・・。
むろん、これらの録音機にしても、まだまだ2トラック(ステレオ)での録音にしか対応していないし、DSD録音したものをパソコン上で簡単に加工、というわけにもいかないのだが(何より、DSD 録音が可能となっても、自宅でSACDが焼けるわけではなく、SACDとして商品化するためにはデータを何らかの方法でしかるべき工房へと持っていかなくてはならないのは不便かも)、こうした高品位の録音が手軽に扱えるようになることで、特に実験音楽方面でのパッケージソフトのあり方は、かなり変わって来るのではないかと思われた。
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注:CDの規格の16bit、44100Hzとは、一秒間に44100回の割合で、音を65536(=2の16乗)段階の数値へ置き換えているということ。大雑把な例えだが、画素44100個、色調65536段階のデジカメみたいなものと考えれば目安になるだろう。これは、CD開発当初の技術的限界とも言える数値で、当初は十分なものと思われていたものの、高品質のアナログに比べると見劣りのする規格だったことは否めない。サンプリングの荒さは、高音域の音色(たとえば、ヴァイオリンやハイハットの音色)や、撃音(打楽器やベースのピチカートなど)の立ち上がりへと如実に表れる。増してや、10000ヘルツ以上のサイン波の干渉などは、さながら4つの画素で表示された人間の顔の表情が刻々と変わっていくのを見るかのようなものとなるので、これを解決するためには画素を細かくするといった対処を行うほかない。しかしながら、デジカメと違いCDの規格は決められていて、新商品を買ったから画素が増えるというわけではない。故にフェラーリは、画素96000個、色調16777216(=2の24乗)段階のDVD規格に可能性を見出したのだろう。今にして思えば、パソコン上での入念な編集を身上とするフェラーリの創作方法を考えれば、彼が高品位のPCM録音に目を向けていたのは(その利便性ゆえ‐DSDにはまだそこまでの利便性はない‐)当然の帰結なのかも知れなかった。