井上郷子リサイタル@所沢市立松井公民館

10日 
14:00 所沢市立松井公民館

リュック・フェラーリの作品を中心に据えた、2月25日のリサイタルのパンフレットに挟まっていた、手作りのチラシで知ることとなった公演。方法マシンによる「ハノンの全曲演奏会」と迷ったが(特に3度をはじめとした重音進行が続く最後の部分を、誰がどのように弾いたのかは興味あるところ)、近藤譲日本初演曲があるというのでこちらへと傾く。
会場となった松井公民館は、所沢駅から1キロほどのところに位置し、通常は映画の上映などにも使っているであろう、ティアラこうとうの小ホールよりは大きく、大泉学園ゆめりあよりは小さい・・・、そんな規模のホールをもつ。音楽用には設計されていないようだが、遮音についてはしっかりしたもので、ここを会場としたクラシック音楽のコンサートシリーズ:「松井クラシックのつどい」は、ほぼ月1の開催で187回を数えるとか。

会場には、ヤマハの小さめのグランドピアノが1台。上述のように月1でゲストを招いてのコンサートが行われているので、このピアノについては相当丁寧に扱われている様子。井上がこのコンサートシリーズに出演することになったのは、1992年以来所沢市に住んでいる縁からだそうだ。
プログラムは、
ヘンリー・カウエル:<<マノノーンの潮流>>
ヘンリー・カウエル:<<エオリアン・ハープ>>
アーノルト・シェーンベルク:<<6つのピアノ小品>>
ルチアーノ・ベリオ:<<ラウンズ>>
ジョン・ケージ:<<季節はずれのヴァレンタイン>>
モートン・フェルドマン:<<ラスト・ピーシズ>>
ドイナ・ロタル:<<サマヤ>>
武満徹:<<雨の樹素描I>>
平石博一:<<風光る時>>
伊藤祐二:<>
近藤譲:<<リトルネッロ>>
近藤譲:<<イン・ノミネ(レスニェフスキー風子守歌)>> 日本初演
ジョン・ケージ:<<ある風景の中で>> アンコール
近所のお年寄りがぶらりとやってくるようなコンサートとしては、相当ハードな曲目だが、これが目だった途中退場者も出さず終了することとなったのだから驚き。というより、私が聴いた井上の演奏会の中でも屈指の出来栄えだったのだから、それも当然というべきか。
元来、指の回転に任せて弾き切るタイプの演奏家ではないが、そうした彼女だからこそ、自分の出した音に徹頭徹尾耳を澄ましていく芸風を確立出来たのかも知れない。よって、ヤマハの小さなグランドピアノに向かっても、それを決してオーバーロードさせること無く、常に考え抜かれたバランスで和音が鳴らされることになる。
シェーンベルクくらいまでは、小さなピアノを使っているがゆえの、筐体の鳴りの浅さが気になった。が、フェルドマン、平石、近藤、アンコールのケージは響きの豊かな素晴らしい演奏。特に、ペダルで保持される余韻と新たに弾かれる音のバランスが絶妙で、平石作品では、譜面へと記されたパターンの他に、余韻の集積としてのパターンが別に立ち上るかのよう。近藤譲の<<リトルネッロ>>は、去年のリサイタル時と比べ格段に深化した演奏で、近年の近藤作品を特徴付ける分厚い和音の連続(技巧的にも相当難かしい)を良く弾きこなし、重心の違う個々の和音の性格の違いも見事に表現されていた。曲はというと、昨年9月の個展で初演された作品のように、近藤譲らしからぬ音形が不意に放り込まれる−この作品では低音部をトレモロでかき鳴らす−箇所などもあるユニークな作品で、近藤譲の作品としても出色の逸品といえるだろう)。新作は、アンサンブル・ルシェルシュが、現代作曲家に新しい<<イン・ノミネ>>を委嘱するシリーズの一環で書かれた小品であった。
ただし、武満作品については、テンポ設定については納得がいったものの、あまりにロマン的な表情付けにはちょっと疑問も。そういった微々たる不満はあれど、素晴らしい演奏会であったことは間違いない。
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その他、コンサートの性格ゆえ、曲間に楽曲に関する解説を主としたトークを行ったが、こちらの出来は残念ながら・・・。ピアノの演奏の方へ集中力を持続させると、どうしてもトークの方にまで手が廻らないのだとか。また、<<季節はずれのヴァレンタイン>>では、曲間のトークに引き続き観客にその過程を披露しながらプリペアを行った。ケージのプリペアドピアノ作品の中でも、群を抜いて準備が簡単な作品だからこそ、こういうことが出来るとのことだ。