富樫雅彦の逝去に寄せて

原宿アコスタジオでの大井浩明リサイタルの流れで食事をしていた際、野々村禎彦さんらから富樫雅彦が亡くなったとの話を聞いて驚く。帰宅してからチェックした各種日記や記事によれば8月22日のことだったそうで、これで8月22日はドビュッシーシュトックハウゼンの誕生日であると同時に、リュック・フェラーリ富樫雅彦の没日としても記憶されることになってしまった(みのもんたタモリ岡田有希子の誕生日も8月22日であることは、今回は忘れることにしよう)。
私は某友人とともに年1〜2回の割合でSACD試聴会なるものを開催していて、それはマイルスの<>を屋根が飛びそうな音量で聴いたりする真に楽しい会であるのだが、その場で富樫と佐藤允彦紀尾井ホールでのデュオを収録したアルバム:<>をかけるのが、ここしばらくの定番となっている。金属打楽器の高域での干渉を美しくとらえたこのアルバムは、伶楽舎が演奏する武満徹の<<秋庭歌一具>>(SONY)、ポール・パリーのシャブリエ作品集(mercury)、ウィスペルウェイブリテン無伴奏チェロソナタ集(channel classics)とともに、この会のキラーアイテムとなっていて、SACD創始期にリリースされた1枚4000円近い高額商品であるにも関わらず、会の参加者を片端からCD屋に走らせている(よくよく思い出してみれば、私もSACDプレーヤーを購入した帰途にてこの音盤を求めたのだった)。


CONTRAST

CONTRAST



一般に、鈴やリンやウィンドチャイムといった楽器の音色をせっせと作品にトッピングし出す作曲家/演奏家というのは、スピリチュアルにハマる女優と同じで末期症状にある場合が多い(近年の細川俊夫しかり)のだが、富樫が貴重な例外だったことは確かだ。そしてこの音盤に耳を澄ますならば、その理由がおぼろげながらも見えてくるに違いない。高音金属打楽器の響きが他の音と干渉して、全く新しい響きの様相を作り出す様を、誰よりも冷徹な耳をもって追いかけ、非常な厳しさでもってコントロールしていたのが富樫ではなかったか(これはMIDIでスコアの音響シミュレーションを行って満足している作曲家の作品が、驚くほどに平板な響きしか持たないという現実の、丁度対極に位置する事象とも言える)。
2002年、演奏に必要な姿勢を維持することすら難しくなり、演奏活動からの引退を表明してからも、いつの日か演奏活動へと復帰する奇跡を待ち望んでいたのだが・・・、生前のライブにも足繁く通ったとはいえない身ゆえ、本当に悔やまれてならない。
心よりご冥福をお祈りする。