オーケストラ・ニッポニカ

4/6 14:30 紀尾井ホール

金井喜久子 梯梧の花咲く琉球 (1946)
平尾貴四男 古代讃歌 (1935)
深井史郎 交響的映像「ジャワの唄声」 (1944)
松平頼則 南部子守唄を主題とするピアノとオルケストルの為の変奏曲 (1939)
橋本國彦 感傷的諧謔 (1928)
山田和男 交響的「木曾」 (1939)

指揮 本名 徹次
管弦楽 オーケストラ・ニッポニカ

今まで、所要が重なることが多く、実演に接することがないままでいたオーケストラ・ニッポニカの演奏会に初めて足を運ぶ。
橋本の1928年の作品≪感傷的諧謔≫では、時にドイツロマン派の作品からそのまま引っ張ってきたような瞬間があり、それに続く日本的旋法を主とした部分との間に、決定的な違和感を生じている。既に20年も前に「イエローサブマリン」を音頭にし、声明でも民謡でもブレイクビーツの上に乗せることが出来る我々は、その違和感をかえって楽しむことが出来るという、ある種転倒した状態にあるわけだが、当時最先端の音楽的教養の持ち主にとっては、その違和感が耐え難いものであったことは想像に難くない。それゆえに、この間を埋めるアマルガムを作り出すことこそが当時の課題であり、この演奏会はそれを乗り越える方法論の差異が1920〜30年代のモダニズムの諸相を成していたことを図らずも呈示していたように思う(平尾がペンタトニックに導音を入れているのも、そうした調停を目指したものだし、前半の伝統的かつ丁寧な民謡主題の扱いが後半に向けてはっちゃけていく山田作品も、教養人が己の教養がもたらす呪縛から解放されるのを目の当たりにするようで興味深い)。
もちろん、モダニズムのありようが必ずしもそうした方向のみに限定されるのでないことは、終演後の「自分には『先輩』がいないことを思い知った」という松平頼暁氏の一言に集約されていたりもするわけだが、このことについては稿を改めて書く必要があるだろう。
さて、私としては、松平頼則の≪南部子守唄〜≫目当てで足を運んだのだが、残念ながらこの作品を(というよりは、松平の作品を)特徴付ける増4度の音程が良く取れておらず、演奏においては当日最も割を食ってしまったのは残念。この音ミスプリなんじゃないの?と疑いながら演奏しているような風情というか(演奏が一番だったのは深井作品か)。
この増4度への偏愛は、後により過剰に作品へとまとわりつき、松平の作品から和声的進行感を削ぎ落としてついには音楽を静止させてしまう。もちろん、静止なんてことは音楽の場合にはありえないわけだが、希薄な進行感と過剰なほどに細部を飾り立てる作曲法が、松平の作品に、(丁寧に演奏されるならば)どれほど遅く演奏することも可能な、極めて典雅で、そして特異な風情を与えているのは事実だ(その一例として、「フィギュール・ソノール」を挙げるのが良いだろう)。それは、ある種の極限操作によって、フェルドマンへと近づく音世界とも評せよう。ゆえに、フェルドマンの演奏に実績をもつ腕利き演奏家を集めての、松平頼則室内楽個展を7月16日に行うことに決定した(詳細は近々発表)。こちらにもどうか足を運ばれんことを。
写真は紀尾井ホール近くで撮影した盛りを過ぎてもなお美しい桜。