スティーヴ・ライヒ来日雑感@東京オペラシティ

スティーヴ・ライヒの「18人の音楽家のための音楽」は、20世紀に書かれた最も演奏至難な楽曲の一つである。そう断言しても良いように私は思います。実際、この作品の日本人団体による演奏はいまだなされてはいないのです。
もちろん、極めて複雑な譜面で奏者を圧倒するような、例えばファーニホウやフィニシーといった作曲家の作品が難しいことも確かですし、そういった譜面に比べると、ライヒの「18人」の譜面は割合簡単に演奏できそうな気がします。しかし、1秒間に1度の腹筋運動を3秒続けるだけなら大抵の人にも可能でしょうが、それを1時間続けるとなると話は変わってくるでしょう?ライヒが「18人」で奏者に要求していることは、そうした比較的簡単な演奏行為を、常人の限界をはるかに超えたレベルで続けろということに他なりません。
加えて、整然とパターンが並んでいるライヒの作品では、間違いや発音の遅れが誰の目にも明らかになります。それは丁度、広い壁に漆喰を塗るようなもので、下手に塗るならばどうしようもない程のムラが出るでしょうし、どこまで上手に塗ったとしてもそのレベルに応じて小さな傷やムラが気になってくるというわけです。延々と並ぶパターンのうち、ほんの1つが不可抗力的に歪んだとしても、ライヒの音楽は瓦解してしまうかも知れません。ゆえに、ライヒの音楽は、音楽演奏の精度に対する要求を、クラシック音楽の歴史上、例がないほどに引き上げたと言えるでしょう。通常のクラシック音楽にあるようなテンポの揺れがライヒの音楽に見られないのは、そうした揺れが介入する余地を持たないような形で、音素材が構成がなされているからなのです。
これらは他のミニマル音楽にも(「18人」ほど極端な形ではないにせよ)見られる難しさではありますが、加えてライヒの「18人」には、殆ど拍子というものがなく、1拍の繰り返しで書かれているという特色があります。これにより、奏者は上記のような極めて大きな負荷のかかる演奏を行いながら、正確に音符を数えることを要請されるわけです。単に数えるならば簡単と思われるかも知れませんが、四分音符=200を超えるテンポで常に八分音符の刻みがある作品ゆえ、しばらく演奏していると感覚が麻痺し、表拍と裏拍を弁別することすら難しくなります。こうした状況の中で、1時間以上にもわたって演奏を続けるということは大変な苦行であり、ゆえにこれほどに至難な作品はライヒもこの後書くことはありませんでした。
さて、東京オペラシティで年1度開かれる現代音楽祭:コンポージアムのテーマ作曲家がライヒということで、アンサンブル・モデルンが「18人」をはじめとしたライヒの諸作品を演奏するコンサートが21日、22日と開かれました。21日は、演奏精度がいまいち上がらず、正直微妙な結果に終わりましたが22日の演奏はどうだったでしょうか。
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カレーは一晩寝かすと美味しくなると申しますが、スティーヴ・ライヒの「18人の音楽家のための音楽」も同様のようで、21日とは比べ物にならないパフォーマンスを聴かせて頂きました。
元来、ライヒのアンサンブルにおいては、ラッセル・ハーテンバーガーとボブ・ベッカーという、頭に水晶発振器でも埋まっているのではないかとすら思われる、恐るべき2人の打楽器奏者が柱石をなし、超高速で交代する表と裏拍の間で時に迷子になりそうなアンサンブルを、音楽性・経験の両面によって統制していました(そうした奏者を擁していてすら、ライヒのアンサンブルはツアー先でろくに観光にも出かけず、1日中リハーサル室に閉じこもって世界中で何度となく演奏して来たレパートリーを練習し続けるのです。ライヒの輝かしい達成が、そうした入念な準備をした上でのパフォーマンスに支えられているというのは、現代音楽の受容を考える上でも極めて重要なことです)。アンサンブル・モデルンによる「18人」の録音(下参照)にも、この2人は特別ゲストとして参加し、要所を締めておりましたが、21日の本番ではその不在を思い知らされたというのが正直なところでしょう。


Reich: Music For 18 Musicians / Ensemble Modern

Reich: Music For 18 Musicians / Ensemble Modern



実際、リハーサルがどれだけ上手く行っても、本番、満員の聴衆が客席をうめるとステージ上での音のバランスは相当に変わってきます。誰かの音を頼りに楽曲内での自分の立ち位置を知ろうと思っても、その音が聴こえなかったり、聴こえてくる音のあまりの変化に自分が正しいことをやっているのか否かがわからなくなったりもします。「18人」のような半拍のズレが取り返しのつかない事態を招き寄せる音楽においては、その僅かな違いに起因する恐怖も絶大なものとなるはずです(実際、21日はそれゆえに迷子になっているような、危険な箇所もありました)。
今日のリハーサルにおいては、ラリードライバーがコースを下見してレッキを作るかのごとく、21日の演奏にて思い知らされた「危険な箇所」をマークして相当の練習を重ねたらしく、前日には見られなかったアイコンタクトが奏者間で頻繁に交わされ、ハーデンバーガーとベッカーの不在はどうにか埋められたようです。いや、これだけ良くなるとは予想外。もちろん、このレベルになればなったで、第7セクションのカウンターを当てるかのごときピアノの奏法が、音風景の中のムラのように感じられて気になる、など、新しい不満も出てくるわけですが。
ただ、その代わりといいますか、「プロヴァーブ」の演奏は見事に犠牲になり、ここ2日で最低の出来となってしまったのは残念でした。


Phases: A Nonesuch Retrospective

Phases: A Nonesuch Retrospective



スティーヴ・ライヒの代表作を収録した5枚組。ライヒ自身のアンサンブルによる「18人の音楽家のための音楽」も収録。この作曲家に興味をもった方は、まずこれから(ここだけの話、別の大手CDショップの通販で買うとさらに安く、国内盤のCD1枚と変わらない値段で手に入ったり)。


Chamber Music

Chamber Music



ハーテンバーガーとベッカーは、カナダの打楽器合奏団「ネクサス」の一員として、武満徹の作品の演奏などにも参加しています(武満は彼らを想定して打楽器アンサンブルとオーケストラのための作品も作曲しています。このCDには入っていませんが)。これは収録作品も演奏も素晴らしく、武満入門にも絶好のディスク。