エグベルト・ジスモンチ オーケストラ・コンサート

5日 19:00 紀尾井ホール
沼尻竜典(指揮) 東京フィルハーモニー交響楽団

エグベルト・ジスモンチが、異端のセリー主義者であるジャン・バラケ(1928-1973)の最晩年の生徒であったという事実は、今となっては植木等が平山美智子(シェルシの協力者として知られる声楽家)の弟子だったという程度の意味しか持たないのかも知れないが(ポール・グリフィスによるバラケの伝記にもジスモンチに関する記述はない)、まあ、全くつながりが無いとは言えなくもないと、<101年目からの松平頼則>のチラシを挟ませて頂こうかと、紀尾井ホールまで伺ったという次第。

コンサート前半は、「凡人50人を従者に従えた、空の飛び方を知っている導師が一人」といった佇まい。指揮をした沼尻には、優秀だが時に官僚的ともいえる表現へと落ち着いてしまう悪弊があるが、それがモロに出てしまった。ジスモンチのオーケストラ作品は、ストラヴィンスキーというよりは、むしろバルトークを髣髴させるリズムと、ダリウス・ミヨーの作品に聴かれるような複調が混交する。こうした作品において、オーケストラが刻むリズムが、およそブラジル音楽らしからぬ杓子定規なものに落ち着いてしまうのはどうしたことか。沼尻は、メシアンや後期武満や三善晃など、細部まで精密に書き込まれたスコアを演奏させるなら、極めて優れた演奏を聴かせる得がたい才能ではあるのだけど(何年か前、沼尻が同じ東フィルと組んで演奏した三善の「レクイエム」は、その年の聴いたオーケストラ演奏の中でもベスト3に入る、入念かつ凄絶なものだった)。

続いてのジスモンチのピアノとの共演曲では、オーケストラ書法は打って変わって、ピアノの音色をそのままオーケストラへと広げていくかのようなものとなる。ただ、こうした対位法的書法の複雑を放棄したかのような、見せかけの単純さに騙されてはならない。ジスモンチがオーケストラに求める音色は、時に特殊奏法を駆使した奇妙なもので、美しく響かせるには相当のバランス調整が必要であるし、この単純さはオーケストラの創意を期待しての余白のようなものでもある。これらの作品でもオーケストラの演奏はいささか微妙。アーティキュレーションはもっとソロに寄り添うべきだし、ジスモンチの煽るようなテンポにも付いていけない箇所が散見される。

ゆえに後半、オーソドックスなクラシック的語法で書かれた弦楽合奏曲:<>の演奏が最も優れたものとなったのは偶然ではないのだろう。この作品に限らず、後半のジスモンチがギターでソロをとっての2曲(+アンコール)でも、オーケストラは見違えるように奮闘。ただし、金管楽器を中心に相当に演奏困難な譜面を割り当てられ、ジスモンチのソロでも行うような、音風景の急激な交代もある。<>などは、オーケストラの定期演奏会で普通に取り上げられても良い充実した作品であるが、ジスモンチがギターのソロで見せるリズムのキレにオーケストラが追いつくことはついになかった。

音楽は聴けばわかる、ジャンルの壁など存在しない、という標語は真っ赤なウソだ。ジスモンチは確かにブーランジェやバラケの生徒としてクラシックの教養を身につけた音楽家であるが、彼はその後ブラジルのポピュラー音楽の文脈の中で長く活動してきたわけで、彼の音楽とクラシックのオーケストラとが、簡単に相互乗り入れ可能かといえばそうではない。クラシックのオーケストラをジスモンチが求めるレベルでリズム的に機能させようとするだけでも、双方の断絶が明らかになるのが実状なのだ。

ジャンルの壁を壊すことは出来る。しかしながら、ベルリンの壁と同じで、これが2日(のリハーサルと本番)で壊れることは有りえない。このコラボレーションが今後も継続するなら、極めてユニークな成果が期待できると思う。今回を1度きりのお祭として終わらせずに、是非、次へと繋げてもらいたいものである。

ジスモンチは、7日に今来日最後の公演(ソロ)を東京で行う。ジスモンチのソロについては、去年の来日公演@第一生命ホールを聴いて書いた、「エグベルト・ジスモンチの倫理」を参照して欲しい。


Sonate Pour Piano

Sonate Pour Piano

作曲家:バラケのピアノソナタを収めたCD。バラケは1950年代、ブーレーズらとともに総音列技法という技法の使い手として楽壇に登場するが、その技法の運用方法が主流派と異なっていたがために不遇であり、さらには交通事故や火事に見舞われたりもしつつ1973年に世を去った。ジスモンチは、バラケの早すぎた晩年に短期間師事したという。

Meeting Point

Meeting Point

ジスモンチとオーケストラの共演を収録した貴重な音盤。