そら飛ぶ庭 関連

情報サイト「そら飛ぶ庭」の原稿を幾つか更新・改訂しています。

第12回 松平頼則を聴いてみませんか

7月16日の拙企画・制作の演奏会「101年目からの松平頼則」は成功裏に終了いたしました(現在発売中の「音楽現代」誌9月号151ページに、作曲家の横島浩さんによる批評が載っています)。その演奏会のPRをかねて書いた文章がこれ。以前、柴田南雄音楽評論賞の奨励賞を頂いた文章では十分に触れることが出来なかった、新古典期の松平作品の特質について書いています。

第13回 特別養護老人ホームの<即興>音楽家たち 音楽家:野村誠の仕事

以前、健康食品会社のPR誌に寄稿した文章と同一の対象について書いたものです。紙幅の都合でどうしても説明不足になりがちだった箇所、落とさざるを得なかった論旨などを加えて一から書き直しています。老人ホームでの野村誠の音楽活動について書いたもので、この題材によれば、「音楽は(無用の長物ではなく)何かの役に立つのか?」という疑問に何らかの答えが返せるのではないか、と考えました。また、この文章には、私が過去に塾や予備校で数学を教えた際の経験も反映しています。自分で書くのも何なのですが、そうした仕事をしていた頃は、成績が良かった子はもちろんのこと、他の講師が見放すような成績の子を担当しても相当の成果を挙げ、同僚を圧倒していたものです。しかしながら、私は決して特別な教え方をしていたわけでなく、とにかく子供の僅かな変化でも見逃さないよう腐心していただけなのです。もちろん、その変化を見つけてのちの個々の子供たちに対する指導は、容易にマニュアル化できるものではなかったのですが。

老人ホームに音楽がひびく?作曲家になったお年寄り

老人ホームに音楽がひびく?作曲家になったお年寄り


第14回 チューバとともに 低音がつくるオーケストラの魅力

製薬会社につとめる24歳のOLがアマチュア・チューバ奏者として出会う諸々を描写した、現役の小児科医でもある作家:瀬川深氏の「mit Tuba チューバとともに」(現在は「チューバはうたう mit Tuba」と改題されて単行本化)については、昨年の太宰治賞受賞を知らせる新聞記事を読んだ頃から注目していました(私がmixiの日記で取り上げたのをキッカケに、友人の姪御さん:小学校5年生のアマチュアチューバ吹きが、この小説で夏休みの読書感想文を書いたりも)。ただ、大熊ワタルシカラムータをモデルとした登場人物が登場する後半(ミュージック・マガジン誌には大熊ワタルによるこの本の書評が出ていて驚愕)よりも、中学校の吹奏楽部で主人公が2コ上の先輩と練習するシーンの方が楽器を吹く楽しみがストレートに描写されていて素晴らしい、という意見は変わることがありません。この小説の紹介を、と思って書き始めたものの、結局はオーケストラや吹奏楽でチューバが担う、極めて重要な役割について書くことになりました。小さな体でチューバという楽器と格闘していた14歳の頃の自分に向けて書いた文章、でもあります。

チューバはうたう―mit Tuba

チューバはうたう―mit Tuba


第15回 映像/ナレーション/音楽 そしてイメージ マルグリット・デュラスを経由して鈴木治行へと至る途(みち)

鈴木治行と初めて会ったのは、三鷹の市役所のそばの古い市民ホールにミシェル・ポルタルのライブを聴きに行ったときだから、もう、10年以上前になるかと思います。それの少し前に、聴きに行ったTEMPUS NOVUMという作曲家集団のコンサートで一番感銘を受けたのが氏の「セレベスの象」だったので、自分から声をかけてみたわけです。その後、鈴木は自身が「語りもの」と呼ぶ作品を書き始めましたが、これらが現代の日本で作曲された最も独創的な音楽の一つであることは疑いありません。この「語りもの」については、コンセプトを理解した上で書かれた文章にお目にかかることが無いので、今回はマルグリット・デュラスの「アガタ」と対照させつつ書いてみたという次第。

語りもの

語りもの