クセナキス名盤紹介 巻頭言

これは、2001年の作曲家:ヤニス・クセナキスの逝去をうけて、今はない「クラシック招き猫」というサイトへと投稿した記事が元になっています。それに若干手を加え、2002年頃から作曲家:中橋愛生氏のHPに掲載して頂きました。2003年に私が柴田南雄音楽評論賞の奨励賞を頂きますと、肩に余計な力が入っている感じのこの原稿が少々恥ずかしくもなり、改稿しますと宣言して、掲載を中止してもらうことにいたしまた。その後、実際に改稿を行う踏ん切りがつかず、未だ中橋氏のHPの該当箇所は改稿中として空白になっているわけですが、今、読み返してみると、当時の押し付けがましい感じも、まあ、自分に精神的な余裕が出てきたせいでしょうか、それはそれで味になっているように思え、ここで公開することに致しました。抜本的な改稿は必ず行い、こちらは中橋氏のHPに寄稿することになるかと思います。

modeのDVD

Legende D'eer for Multichannel Tape [DVD] [Import]

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弦楽合奏のための作品集

Music for Strings

Music for Strings

RZの2枚組

Iannis Xenakis

Iannis Xenakis

Timpani管弦楽曲集の4枚目、5枚目

Works for Orchestra 5

Works for Orchestra 5

など、執筆後に極めて重要なリリースがありましたが、本稿では触れられていないことにご注意ください。ここ7年余りの新リリース等を考慮して、現在では推薦盤に含めない盤に×を、重要性が薄まってきたと思われる盤に△をつけました。入手が難しくなっている盤には、(絶版)の印をつけています。

では。

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Iannis Xenakis (1922-2001) のこと

ヤニス・クセナキス。この、20世紀後半のクラシック音楽界を代表する作曲家が亡くなってから、来年の2月4日で丸2年になろうとしています(執筆時)。

ここ5年程の間に、クセナキス作品のCD化は、かつて誰もが想像しなかったペースで進んできています。『ボホール』、『ペルセポリス』、『クリュニーのポリトープ』といったアナログテープ音楽の傑作は、ほぼ全てがCD化され、3年前より開始された、アウトゥーロ・タマヨ指揮による、クセナキス管弦楽作品全集という一大プロジェクトも、年1枚のペースで確実な成果を挙げつつあります。さらに、現代音楽での素晴らしい復刻で名を上げているドイツのRZレーベルが、かつてERATOからリリースされていた音源を中心とした復刻を計画していると聞きますし、col legno からは、クセナキスの公式的なデビュー作として知られる『メタスタシス』以前に書かれた管弦楽作品がリリースされるという話もあります。テープ音楽に続いて管弦楽作品でも、ようやくCDリリースの駒が揃ってきて、クセナキスという巨大な作曲家の輪郭を捕らえることも、どうにか可能になってきたという状況。そうした地点に、今、我々はいるというわけです。

加えて、現代音楽をめぐるリスナーの環境も様変りしつつあります。インターネットの普及により、旧来はそれぞれが孤立していた現代音楽リスナーに横の繋がりが生まれ、口コミでCDが売れ出すという現象も出てきました。クセナキスの最もコアなテープ音楽作品:『ペルセポリス』が、タワーレコードの店員もいぶかしむ程に売れた理由の一端もココにあるのでしょう。故に、クセナキスの音楽が持つ圧倒的な力に打ちのめされて来た私などからしても、本当に信じられないような勢いでクセナキス作品がブレイクする可能性も出てきました。だからこそ、今、一般的なクラシックファンを含む多くの聴き手に向け、改めてクセナキス作品の魅力を紹介しておくべきなのかも知れません。それこそが、現在、目立たないところで、しかしながら確実に進行しつつある「音楽受容における地殻変動」の全容を正しく捉え、音楽、そして聴衆を取り巻く環境の豊饒さへとつなげるために、是非とも必要なことだと思われるからです。

この文章はもともと、2001年の2月4日に亡くなったクセナキスを追悼する意を込めて、「クラシック招き猫」というサイトへ投稿したものでした。nappさんのご好意で、ここへ転載させて頂くにあたって文章表現に若干手を入れ、さらにその後リリースされた何枚かのCDについてもフォロー致しました。ただ、これからも、クセナキス作品のリリースは続くことでしょう。故に、紹介するに足る内容を持つCDがリリースされたなら、順次リストへと付け加えて行く予定です。

最初に一言申し上げておくと、クセナキスの業績を、数学や建築といった音楽外の知的な側面に関連させて紹介するのは、もう十分でしょう。むしろ『作曲に数学を駆使した理知の人』という、クセナキスに対するかなり一方的なレッテル付けが一人歩きしている現状が、クセナキスの音楽性の本質が理解されることを妨げているのでは無いか?と危惧されるのです。

クセナキス音楽史上における業績を一言で言い表すなら、単に、

従来の作曲手法では制御不能な程の大量の音。それらを制御する方法を発明し、それによって音の奔流が渦巻く圧倒的に力強い音楽を創り出した。

と表現するのが妥当で、必ずしも彼の発想が数学や建築に結び付いていたことを強調する必要は無い、というのが私見です。実際、クセナキスの業績を数学や建築といった音楽外の知的な側面のみから評価する言説が多いのは確かです。でも、そんなものは、「音楽そのものに対峙していないというヘタレぶり」において、クセナキスが用いた技法を数学的に検証し誤りを見つけることで、彼の作品そのものを否定出来た気になっている別宮貞雄的マヌケさと大差無く、同じコインの裏表を成しているに過ぎません。まあ、こういうのはどちらも捨て置くのに越したことは無いでしょう。

もちろん、数学や建築にオリジンを求めることが可能な手法が、クセナキスの作曲に大きな影響を与えていたのは事実で、それは、彼が晩年に作曲した、数学的、建築学的思考の希薄な作品が、それなりに個性的ではあるものの、往年の作品と比べれば目に見えて力の無いものになっていることからも、明らかだと言えます。それでも、そのような作曲技法に関する知識を云々することが、クセナキスの音楽が《聴くもの》にもたらす感動をどれだけ説明してくれるというのでしょうか?丁度、ジェットコースターの設計をするには変分法の知識が必要だが、単に乗って楽しむのには特に数学的知識が必要になるわけではないように、クセナキスの音楽を聴くのに、彼が用いた数学的技法に気遅れする必要は、決して無い、のです。

50年代後半より、ペンデレツキ、リゲティといった作曲家達が、トーンクラスター音楽と呼ばれる、密集した音程関係内にある音を一度に鳴らす技法によって作曲を行なっていましたが、ただ一人、クセナキスだけが、そうした音塊を縦横に動かす方法を知っており、音楽に圧倒的な強度を付け加える方法を知っていた。それで十分なはずです。

このように、クセナキスの作品が持つコンセプトは非常に明解です。さらに、そうしたコンセプトによって誰にも真似の出来ない個性的な音楽を書いていることも、少しでもクセナキスの音楽に触れたことがある方なら皆ご存知でしょう。意外に思われるかも知れませんが、このようにコンセプトが明解で、個性的な響きを持つ音楽というものは、思いのほか『わかりやすい』もので、『わかりにくい』という思い込みは、つねに一般的なクラシック音楽作品との距離を測りながら音楽に対峙してしまう観賞の方法に起因していることが多いのです。このことは、クラシック音楽の伝統とは離れたところでクセナキスの音楽に接しているノイズやテクノの愛好者などが、すんなりとクセナキスの音楽に親しんでいることからも分るはずです。

それがわかればあとはCDを聴きまくるだけ。耳慣れない音であるが故に、慣れるまでに時間がかかるかもしれませんが、繰り返し聴いていれば自分なりの楽しみ方が発見できるでしょう( 以下、文体が少々変ります )。