2.クセナキス:管弦楽曲推薦盤

Xenakis: Orchestral Works Vol1

Xenakis: Orchestral Works Vol1

Xenakis:Orchestral Works Vol.2

Xenakis:Orchestral Works Vol.2

Xenakis:Orchestral Works Vol.3

Xenakis:Orchestral Works Vol.3

Eonta / Metastasis / Pithoprakta

Eonta / Metastasis / Pithoprakta

  • アーティスト: Iannis Xenakis,Konstantin Simonovic,Maurice Le Roux,Paris Contemporary Music Instrumental Ensemble,French Radio National Orchestra
  • 出版社/メーカー: Le Chant Du Monde Fr
  • 発売日: 1993/11/23
  • メディア: CD
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Xenakis: Orchestral Works

Xenakis: Orchestral Works

→絶版?

録音に恵まれなかったクセナキスの大管弦楽のための作品を系統的に録音する待望のプロジェクトがとうとう開始された。Timpani レーベルにおけるアウトゥーロ・タマヨ指揮:ルクセンブルクフィルハーモニー管弦楽団によるこの試みには、心よりの拍手を送りたい。徹頭徹尾オリジナルな語法に貫かれたクセナキスの音楽( 中でも60年代〜70年代における傑作群は、特に演奏が難しいことが知られている )は、複雑なスコアから奏でる音楽をイメージできる優秀な指揮者と、見知らぬ語法によってかかれた音楽を十分手中に収めるまで、練習を繰り返す時間をとることが出来るオーケストラによって演奏される時、はじめてその魅力を明らかにすることが出来る。

第一弾に収録された作品は、クセナキス管弦楽作品としては「中の上」から「下」といったレベルのものであるが、旋法的な比較的わかりやすい( =伝統的なクラシック音楽との距離がそう大きくない )作品が集められており、彼の管弦楽曲への入門として最適のCDである。『アイス』における打楽器の連打とオーケストラの絡み、あるいは『トレーセズ』での重厚なリズムなどは、例えば、松村禎三作品に親しんでいる人なら何の違和感も無く聴けるはず。それに慣れれば、グリッサンドでの力強い音の推移が特徴的な『ヌーメナ』が楽しめるようになるのも時間の問題だろう。また、『ローアイ』のような音の動きが少なく、分厚く堆積した音塊を聴かす晩年の作品も、音楽として面白いかはともかく、演奏は見事なものだ。

そして、第二弾。このCDにこそ、クセナキス管弦楽作品が持つ本当の強度を語るに足る作品が収録されている。旋法的なフレーズを不協和な音程関係で重ねた「音のカーテン」が形成される中を、互いにテンポの違う暴力的なオスティナートを交錯させる『ジョンシェ( イグサの茂み )』。また、1971年に作曲されたバレエ音楽の極北:『アンティクトン』には、金管楽器がフォルティシモで打ち込むパルス、木管楽器の特殊奏法が表出させる原初的な雰囲気、延々続くべきオスティナートを刹那のうちに凝縮したかのような打楽器による叩き込み、そして弦楽器が創り出す縦横無尽に動き廻るクラスター。こうしたクセナキスの手の内が余すところ無く詰め込まれている。それらの音楽要素が、多層的な構造をもって精緻に組み立てられている様を、見事に表現したタマヨとルクセンブルクフィルの演奏も素晴らしい。驚くべきことは、そうした精緻な演奏がオーケストラの限界ともいうべき大音量でなされている点だろう。ファーニホウの作品がそうであるように、クセナキスの作品もまた、奏者が余力を残して演奏に当たった瞬間に「クセナキス作品」としての表出力を失ってしまう。ゆえに( それが編集等の録音技術の賜であったとしても )、演奏者が自らの限界点を刻印した、このCDでの演奏は限りなく貴重なのだ。

第三弾には、ソリストに日本人ピアニスト:大井浩明を迎え、クセナキス最初の協奏曲である『シナファイ』が収録されることとなった。この『シナファイ』のソロ・パートは、2手での演奏を想定しながらも10段譜で記譜されており、そこでは、最大16声部にもなる音の流れを、技術的極限ともいえる同音連打で弾くことが要求される。しかも、各声部の同音連打は、各々違う速さで弾くように指示され、その上でピアニストは、拡大3管編成のオーケストラと大音量で渡り合うことを強いられるのだ。カデンツァ的な部分では、延々と続く同音連打からは解放されるものの、ソリストは10段譜の1段毎に違ったリズムパターンを持つポリリズム的難所(3連符、4連符、5連符、それぞれを基本としたリズムを並列に演奏し、それぞれのリズムが互いに生成する齟齬を聴くものに知覚させる)に、たった一人で向き合わなくてはならない。大井は、この至難なソロ・パートに対し、力が及ぶ限り楽譜を尊重した誠実なアプローチで立ち向かい、結果、この協奏曲が、20世紀で最も難しい作品のうちの一つであるだけでなく、独創的かつ暴力的で、それでいて独自の美しさを持つ作品であることを、見事に証明し得た。同音連打で作り出されるピアノのクラスターは、瞬間ごとにその姿を変えつつオーケストラと協同し、カデンツァで楔のように打ち込まれるポリリズムは、最も優れたガムラン・アンサンブルがもたらすような、日常を超越した陶酔へと聴くものを招き入れる。そして終盤、全オーケストラによるクレッシェンドを経て、それまで息を潜めていた3人の打楽器奏者とピアニストによるアンサンブルが、まるで爆発するかのようなクライマックスを築き、音楽は突然に終わる。これは、感情や論理で理解する音楽では無い。より始源的なもの、あるいは中枢神経へと直接作用する祝祭である。このCDでは、その他に、弦楽器のグリッサンド金管楽器が発するパルス的な音形を対照させた『エリダノス』。旋法の中で不協和な音を厚く重ね、大地に根をおろす大樹の如き重量感を表現した『ホロス』『キアニア』とが、作品に相応しいスケールをもって収録されている。

第4弾において特筆すべきは、クセナキスの第2ピアノ協奏曲:「エリフソン」の世界初録音であろう(ちなみに、第3ピアノ協奏曲である「ケクロプス」には、初演者であるロジャー・ウッドワードがアバドと組んで録音した盤が存在する)。 ピアノ譜が10段で記譜されていることのインパクトの強さと、あまりに過酷な同音連打にピアニストが指先より出血するという、いささか誇張混じりの伝説によって、「シナファイ」は史上最難のピアノ協奏曲としてフジテレビのワイドショーにすら取り上げられたのであった、が、独奏部の至難さにおいては、むしろここに収録された「エリフソン」の方が上であろうと思う(入り組んだ連符の処理と、頻出する跳躍が大変)。 そうした非常識に難しいソロパートに真摯に取り組み、誤魔化しのない演奏を聴かせた大井浩明には最高の賞賛が与えられるべきだが、オーケストラパートの演奏の驚くべき充実も特筆されるべきであろう。この4回にわたる録音において、ルクセンブルクのマイナーオーケストラは、クセナキス演奏のツボを確実に探り当てているようだ。角の取れた「クラシック的表現」へと退行することなく、オーケストラの中を対流する息の長いグリッサンドが、まるでクセナキスの傑作テープ音楽のように蠢く姿に戦慄する。 また、クセナキス吹奏楽曲として知られる「アクラタ」は、管楽器が発するパルス音のみで構成された、クセナキスらしく徹底した作品である。この曲の演奏も既存盤(mode)での印象を大きく刷新する素晴らしいもの。(この段落のみ増補)。

タマヨのシリーズに代表される新録音だけでなく、旧録音の復刻もまた、クセナキスファンから熱い注目を浴びている。Le Chant du Mondeからリリースされていた『エオンタ』、『メタスタシス』、『ピソプラクタ』を収録した一枚は、60年代のフランスにおいて、作曲家クセナキスに対する評価を決定付けた名盤とされている。ただし、ピアノと金管5重奏(トランペット:2、トロンボーン:3)とによる、技術的・音域的限界を駆使しての決闘ともいえる『エオンタ』では、初演者:高橋悠治のピアノも現在の耳で聴けば不明確な箇所が多く、金管楽器の線の細さも気になり、この曲については、この録音よりも高橋アキ&ASKOアンサンブル盤(ATTACCA)を強く推したい。『メタスタシス』、『ピソプラクタ』の録音は未だ貴重。これらの作品では、弦楽器のグリッサンド音形を集積することによって、クラスターが縦横に動かされて行く。クセナキスはそのデビュー作でもって、かつて存在したいかなる音楽とも違った作品を創造してしまった。このCDにおいては、音楽各所で打ち鳴らされるウッドブロックの音も生々しく捉えた、素晴らしい録音も特筆されるべきだろう。

最後は、col legno レーベルが系統的にリリースしている、ドナウエッシンゲン音楽祭やメッス音楽祭の記録からピックアップされたコンピ盤。大管弦楽のための『ジェンシェ』が収録されている有難みは、タマヨによる素晴らしい演奏がリリースされたことで減じてしまったが、ロスバウトによる『メタスタシス』の録音が収録されているのが目玉。室内楽曲でも、『ンシマ』のようなキラリと光る秀作が収録されているのが嬉しい。金管楽器が奏でるパルス的な音形の重なりが、力強い《音楽》となって流れて行く様を目のあたりにすることが出来る。こうした作品のコンセプトは『クセナキス吹奏楽曲』として知られる『アクラタ』と共通するものだ。