3.クセナキス:合唱音楽推薦盤

ヤニス・クセナキス;「20世紀の音楽シリーズ」 (Iannis Xenakis: Oresteia)

ヤニス・クセナキス;「20世紀の音楽シリーズ」 (Iannis Xenakis: Oresteia)

Colone Nuits

Colone Nuits

意外なことかも知れないが、ギリシャ時代のクセナキスは、ギリシャの民謡に題材をとった素朴な作品を作曲していたと言われる( それらの作品は現在では殆ど破棄されているようだが )。第2次大戦中に対ファシズムレジスタンスとして働き、顔の左半分の輪郭が変わる程の怪我を負って左目を失ったクセナキスは、その後捕らえられ死刑判決まで受け、フランスへと亡命する。戦争がクセナキスにかのような苛烈な運命を与えなければ、そして亡命先のフランスでメシアンに師事することが無ければ、彼は「ギリシャ民族派」的スタンスを保ちながら作曲を続けたのかも知れない。「君は数学を知っている。なぜ、それを作曲に応用しないんだ?」とクセナキスへと問いかけ、彼が数学的な方法論にて「前衛の寵児」になるきっかけを作ったのがメシアンだったし、レジスタンスとしての経験から、ナチに対抗する大規模なデモや、闘う人々のスローガンを叫ぶ声、そして叫びに、リズミカルなパターンがあり、ある種「音楽的」にすら聞こえることを知っていたが故に、彼は数学的な方法論で書かれたクラスターに比類の無い強度をもたらすことが出来たのだった( 彼がそうしたデモの一員として、マシンガンを撃つ軍隊と衝突することも日常茶飯事だった。彼の音楽の強度は、彼の人生の強度でもあろう )。では、クセナキスが20代の頃まで持っていたはずの「ギリシャ民族派」的な顔は、その後の彼の創作に何の影響ももたらしていないのであろうか?

クセナキスが作曲した音楽は、統計理論に基づいた数学的な理論で書かれた曲であるから当然無調であろう、とか、作品の全体に渡って乱数を使って音が選択されている、とか考えている向きも多いようであるが、それは彼の作品を知らないが故の誤解である。コンピュータの作曲への援用には、あくまでの最初に美学的で概念的なアイディアが必要で、その上でコンピュータを使うのでなければ無駄である、とクセナキス自身も言い切っている。そもそもコンピュータとは、人間が何をやるかを指示しなければ何も出来ない機械であり、その指示の内容が、使う人間の知性や感性を反映し、成される仕事の優劣を決める機械であることを忘れるべきではない。だからこそ、「クセナキスの時代よりも格段に進歩した現代のパソコンを使えば、簡単にクセナキスの業績を乗り越えられる」という類の、馬鹿げた主張は放っておくに限る。えてして、そう主張する人々は、クセナキスの作品にギリシャの旋法に基づく作品が少なくないことすら知らなかったりするものだ。

そのような、クセナキスが持つギリシャの旋法への愛情を知るには、彼の合唱関連の音楽を聴くのが一番。管楽器の特殊奏法が作る原初的な雰囲気が旋法的な合唱に加わる時、「ホラー映画やSF映画のBGM にぴったり」といった現代音楽に対する紋切り型な印象を喰い破る魅力的な音楽が現出する。チェコの亡命作家:ミラン・クンデラは、その著書の中でクセナキス( とヴァレーズ )の音楽を、「人間達の通過以前もしくは以後の世界の、やさしくも非人間的な美を語ってくれた」と称賛したものだが、ここに聴くことが出来るクセナキスの作品は、作曲家:クセナキスのあまりに人間的な側面を露にしている。そしてそれらは、死刑判決を受け、政治亡命することになったクセナキスが、自身の作品をもって為した、母国の文化と風土への称賛でもある。

『オレスティア』は、12人の器楽奏者( 9人の管楽器奏者、2人の打楽器奏者、1人のチェロ奏者 )と、児童合唱、最低18人の混声合唱のために書かれた組曲。この編成故に、「クセナキス吹奏楽曲」としての観賞も可能であろう。バリトンと打楽器による第2楽章は、後に作曲され加えられたもので( 独立の作品として演奏されることもある )、打楽器アンサンブルのためにも優れた作品を残したクセナキスの打楽器書法を堪能できる。

もう一枚のCDは、クセナキスの合唱曲を5曲収録したもの。政治犯として捕らえられた人々への献辞で有名な無伴奏合唱曲『夜』は、クセナキスの政治的立場を明確にした作品としても重要であるが、このような複数のグリッサンドを際限なく重ねて行き、全体としての「うねり」を生み出す手法で書かれた曲なら合唱曲よりも弦楽のための作品がお薦めである。よって、このCDでのお薦めは、CDの冒頭と最後に収録されたアンサンブルと合唱のための2曲。クセナキスの作品が持つ本当の力強さを実感するには力不足かも知れないが、クセナキスの美学が聴き手に媚びること無く、わかりやすい形で結晶しているこれらの作品は、クラシックファンにとっては特に貴重だろう。