101年目からの松平頼則

昨年7月より、作曲家:松平頼則(1907-2001)の創作を俯瞰するコンサート・シリーズ:「101年目からの松平頼則」を企画・制作している。松平頼則は石岡藩主松平家の直系で、その祖先の一人は徳川家康であった。宮内省猟官を務めた松平頼孝子爵の一人息子として生まれたいわば貴族の御曹司であったが、1926年にフランスのピアニスト:ジル・マルシェックスの演奏を聴いたことで音楽を志した。
その後、実家が破産状態になったりと、まあ、いろいろなことを経験しつつも、1940年頃から雅楽を作曲の題材として使用し始め、1951年にこれを12音技法と結びつけることに開眼。以後、その作風を三段跳び的に深化させつつ、当時の現代音楽の第一線にいた作曲家:たとえばメシアンブーレーズに影響を与える地平にすら達した奇跡的な作曲家だった。戦後、いち早く世界へと雄飛した作曲家であり、かのカラヤンが生前唯一指揮した日本人作曲家の作品も、松平頼則の「越天楽によるピアノとオーケストラのための主題と変奏」(1951)だった。この作品はCDで聴くことが出来る。

松平頼則:ピアノとオーケストラのための主題と変奏/ダンス・サクレとダンス・フィナル/左舞/右舞

松平頼則:ピアノとオーケストラのための主題と変奏/ダンス・サクレとダンス・フィナル/左舞/右舞

しかしながら、本来ならシュトックハウゼンシュトックハウゼンは、キュルテンでの講習会に松平という姓を持つ声楽家に出会うや、松平頼則とその息子である作曲家:松平頼曉との関係を質したという)やノーノと同等の尊敬を集めても良いはずのこの作曲家は、日本では何故か正当に評価されていない。おそらく、彼の出自が日本を代表するモダニストのそれとしては、あまりに典雅である点にあるのだろう(また、私のようなものが松平頼則の音楽を賞賛すると、神主→雅楽松平頼則、ということなわけでしょう?としばしば言われるのだが、それは全くの誤解である。そもそも、松平の傑作とされる作品は、雅楽をインスピレーションの源としつつも、雅楽とは全く似ていない)。

その題材ゆえにプレモダン的な作家と誤解されたが、実は日本のみならず世界のモダニズムの先端を走っていたという点において、音楽史における松平頼則の重要性は、映画史における溝口健二のそれに比肩すると言っても過言ではない(ちょうど、トリュフォーゴダールがミゾグチを賞賛するように、メシアンブーレーズマツダイラを賞賛していると考えるとわかりやすい)。にも関わらず、松平の作品集を現在CDで4枚ほどしか入手できない現状は一体何なんだろう。この不当な評価を是正するために、日本の現代音楽演奏の一線に立つ音楽家を集め、彼の創作を、典雅な調性作品から晩年の厳しい作品まで、俯瞰する演奏会を企画・制作しているというわけなのだ。この知られざる巨大な作曲家に対する興味が涌いた方は、是非、7月16日に杉並公会堂へ。

http://d.hatena.ne.jp/Y-T_Matsudaira/

(参考)
松平頼則を聴いてみませんか

情報サイト:そら飛ぶ庭に寄稿した、一般向けの松平頼則の紹介。12音技法導入以前の典雅な調性作品の紹介が主。

松平頼則が残したもの(pdf)

松平頼則の人と作品についての批評。2002年度柴田南雄音楽評論賞奨励賞受賞評論。

松平頼則と総音列技法(pdf)

松平頼則の一部の作品が総音列技法によって書かれている、という点についての解説。上の評論への補足。