松本俊夫「映像の変革」@川崎市民ミュージアム

「銀輪」(1956)でのデビューから50年という節目を迎えた松本俊夫の創作を俯瞰する特集が、川崎市市民ミュージアムにて継続中である。松本の作品を、記録映画・実験映画・長編劇映画の3つにカテゴライズし、その大部分を上映して行くという意欲的企画。見逃すと当分再見が叶わないであろう作品が並ぶ中、一番の目玉となるのが、「白い長い線の記録」「私はナイロン」といった、完成直後より何らかの理由でお蔵に入り続けていた作品の公開であることは間違いない。「白い長い線の記録」に至っては、完成試写以来46年、監督の松本すら再見することがなかったという。この2作品の久々の再映の日となった10月7日には、当事者である松本俊夫湯浅譲二を招いてのシンポジウム(司会は映像研究者の西嶋憲生)も開かれた。 <<白い長い線の記録>>
日本映画新社 / 1960年 / カラー / シネマスコープ・サイズ / 35mm / 13分
製作:黒川時雄、監督・脚本・美術:松本俊夫、撮影:関口敏雄+坂崎武彦、照明:林秀行、音楽:湯浅譲二、録音:国島正男 <<わたしはナイロン>>
日本産業映画センター / 1962年 / カラー / シネマスコープ・サイズ / 35mm / 27分
製作:田代博茂+塩浜方美、脚本・監督:松本俊夫、撮影:木塚誠一、照明:浅見良二、音楽:湯浅譲二、美術:山口勝弘+高木潔、録音:加藤一郎、編集:守随房子、出演:小美野欣二、北篠珠美 <<西陣>>
京都記録映画をみる会+「西陣」製作実行委員会 / 1961年 / 白黒 / スタンダード / 35mm / 26分
製作:浅井栄一、脚本:関根弘松本俊夫、監督:松本俊夫、撮影:宮島義勇、照明:藤來敷義、音楽:三善晃、録音:片山幹男+甲藤勇、編集:宮森みゆり+守随房子、語り:日下武史 <<母たち>>
電通+藤プロダクション / 1967年 / カラー / スタンダード / 35mm / 37分
製作:工藤充、脚本・監督:松本俊夫、撮影:鈴木達夫、詩:寺山修司、音楽:湯浅譲二、録音:片山幹男、語り:岸田今日子
関西電力のPRフィルムとして制作されながら、ロシア構成主義的な美術と、そして何よりチャンス・オペレーション的な手法すら援用したカッティングが部分的に採用され、1960年の作品とは思えないほどに刺激的な《白い長い線の記録》が断然素晴らしい。「日本の映画作品が自然主義的なリアリズムの範疇に収まるものばかりであることに違和感を持っていた」と松本は語るが、こうした手法(具体的には、撮影済みのフィルムの断片に素材別の番号をつけ、サイコロの出目に従って繋いでいく)は、リアリズム的な映画の文法の影響を断ち切るための、必要不可欠なプロセスであったに違いない。音楽は、様々な素材によるミュジーク・コンクレート(低音の素材をクイーン・エリザベスII世号の汽笛に求めているという)と、14人程度の編成による室内楽によるもの(それは終始12音技法で書かれている)に大別され、こちらもチャンス・オペレーション的なテープの編集によってランダムに組合わされた箇所を持つ。こうして、各々ランダムに編集された映像と音楽が相対すことで、作品は多層化され、圧倒的な情報量でもって観る者の感覚を擾乱していく。
しかしながら、依頼者が前年制作の「300トントレーラー」(国鉄横浜線橋本駅から東京電力西東京変電所まで、300トン近い変圧器を11日間かけて運ぶ様子を記録した、アングル等は斬新だが通常の記録映画に収まる作品)を念頭においていたとしたら、この作品の出来に激怒し、以後46年間に亘って封印されたのも無理はないことのように思う。
《私はナイロン》は、東洋レーヨン(現東レ)のPRフィルムとして制作された作品。服飾デザイナーがナイロン製の服地を着た幻の女を追いかけていくが、場面の転換はストーリーよりも意表をついたイメージの転換を基本としたもの。湯浅譲二によるジャズ的な音楽が全編に流れ(ミュジーク・コンクレート的な箇所もある)、そこでトランペットを担当していたのは日野皓正だったという。他に、ピアノ・ベース・サックス・ドラムの音が聴こえたように思うが、湯浅氏に伺っても他の演奏者の名前は残念ながら記憶にないとのこと。 <<西陣>>と<<母たち>>は、uplinkからリリースされたDVDに収録されているので詳細は省略。<<母たち>>の温かみのある単純なメロディと、それを変奏していく作法は、鈴木治行の<>(諏訪敦彦)での音楽を想起させるものがあった。


松本俊夫実験映像集 DVD-BOX

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